双六小僧の新・ボードゲーム放浪記

東京近辺のボードゲーム会を放浪するゲーマー双六小僧が、遊んだボードゲームや参加したボードゲーム会、ボードゲームカフェなどについてあれこれ書くブログです。

先日の記事についてのちょっとした補足

ふと気づくと、少し前に書いた記事にアクセスが集中していました。

 

11/23上野上さまゲームマーケット秋2017のゲーム先行体験会 - 双六小僧の新・ボードゲーム放浪記

 

この記事で新作ゲームについて結構辛辣な事を書いたので、それが原因で炎上したのかなと思っていたのですが、どうもこちらのコメントについて議論が巻き起こっているようです。

 

ゲームとは関係ありませんが、会のさなかに久遠堂さんがいい事を言ったので紹介します。

「(ゲーム制作時)自分の労働の時給を0円と見積もってはいけない」

この後、プロの業者に振るべきところはお金を払ってプロの業者に振って、空いた時間で他の生産性、創造性の高い活動をすべき、といった話に続きます。

こういうコスト意識は、ボードゲーム関係者のみならず、全ての人が肝に銘じるべきなのではないでしょうか。

 

私はボードゲームを作る側ではないので、創作の舞台裏は分かりません。ただ、久遠堂さんのプロフェッショナル意識とでもいうべきものに素朴に感心したのみです。

 

その上で、私が書いた「コスト意識」については少し補足が必要なように思いました。

 

人間誰しも1日に24時間の時間を持ち、その時間を常に何かに使っています。何もせずにぼーっとしているのも、「何もしない」ことを意識的にせよ無意識的にせよ選択しているわけてす。

 

その自分の行動に自覚的になり、自分が選択した行動で何を得て何を失うかをこまめにチェックする、これが私の言うコスト意識です。

 

ここで得られるものは、決して金銭とは限りません。それは時にスキルであったり楽しみであったり人間関係であったり、色々なものが考えられます。何もせずにぼーっとする事だって、それによって「明日への活力」という貴重なリソースを得ているのかも知れません。

 

ボードゲーム制作に話を戻すと、例えば箱詰めのような単純作業があるとします。その作業を外注すれば、その時間でもっと生産性、創造性のある活動が出来、外注の費用を払ってもいいだけの価値を生み出せる、そのような状況なら外注を使うのが合理的です。

久遠堂さんの発言には、こうした自分への能力への確たる見積もりがあるように思います。また、他のボードゲーム制作者はその能力を必要以上に低く見積もらないで欲しいという願いもあるのではないでしょうか。

もちろん、特に少部数の時などは、見積もった上で業者に頼らず自分でやるというケースもあるでしょう。その場合でも、そう判断する過程について自覚的であるべきだと思います。

 

一方で、同人ゲーム制作は趣味であるので、必ずしも採算性に囚われる必要はないという意見もあります。そういう人でも、活動によって有形無形の何かを得ているはずです。それは、単なる自己満足かも知れませんが、それでも何かを得られるからこそこういう手のかかる制作活動をやっているはずです。

ボードゲーム制作に採算性を求めない人でも、そうした金銭以外の部分を含めてコストと効用を見積もり、意思決定に反映することで、より質の良い活動ができ、より高い満足が得られるのではないでしょうか。それが私の言うコスト意識です。

 

ちょっとした補足と言いながら、長々と書いてしまいました。以上で先日の記事についてのちょっとした補足を終わらせていただきます。